わかればなし



「別れよう」とあたしは言った。


 仕事が忙しくて疲れてるのは彼だけじゃない。あたしだって同じだ。
 逢えない日が続いて、やっと逢えたと思ったら喧嘩。
 そんな生活、もう嫌だもの。


 感情の篭らない目であたしを見る徹。
 他人の目だ。あたしに「好きだよ」って言ってくれる前、こんな目をしてた。
 何を考えてるのかわからない、突き放したような冷たい色をたたえたその目に見つめられると、怖くて逃げ出したくなったものだった。
 睨みつけられているとも感じられる鋭い目つきのせいで、彼を冷淡だと評する人がいるのは確かで、あたしもできるだけそばに近寄らないようにしていたのだけど、でも、そのあと告白されて付き合うようになった。
 それからは、近くで見る彼の瞳の中のいたずらっぽい表情や仕草に何度も驚かされた。
 けれど、今の彼の目は以前のものに逆戻りだ。直視できないぐらい怖い。あたしの知らない彼。


「本気か」
 しばらくして、ようやくひと言。
「うん」
 あたしがそう言ったのと同時に、彼の手が伸びてくる。
 一瞬、殴られる…と思ったのだけど、気づいたら抱っこされてベッドの上に運ばれていた。


「最後だから、抱かせてくれ。
 俺たち、身体の相性は悪くなかった、だろ?」
 疑問文の体裁をとってはいるけど、彼はあたしに質問しているわけでも同意を求めてるわけでもない。
 彼は身勝手な男だ。自分がやりたいと思ったらあたしもそうだと思い込んでいる。
 男と女は違うのに。男は喧嘩中だろうが別れ話が浮かんでいようが関係なく欲情するものかもしれないけど、女は愛し合うセックスを求めるのではないだろうか。少なくともあたしは、相手に腹を立ててるときセックスの「セ」の字を思い浮べるのも嫌だ。


 獣め。
 キライだ。この男。
 服のボタンを全部外されて、身体を裏返しにされて、ブラのホックを外されて、また仰向けにされて。
「やだ。やめて」
 一応言ってみるけど、あたしの言葉が聞こえているのかいないのか、一瞬だって彼の手の動きは止まらない。
 あっという間に身に着けていた最後の一枚を奪い取られ、くしゃくしゃの布が丸まってベッドの下に落ちている状態。恥ずかしい姿をさらしながら、彼が自分の服をするすると脱いでいくのをあたしはただ見守る。
「灯り、消してくれる?」
「なぜ?記憶に刻み付けたいだろ、おまえの身体を」
 自分の裸の身体の上を、彼の体温が覆っていくのを感じながら、このときあたしはもう受け入れるしか道はないのだと思い知らされる。


 すべるように、彼の手があたしの肌のあちらこちらを撫でまわす。
 ただ、今日の彼は何だかいつもと違う、ような気がする。
 うなじを指でたどりながら、耳たぶに口づけを落とす。以前の彼なら、もっと荒々しかったのじゃなかったっけ。
 そして彼はあたしの背中を円を描くようにさすりながら、ふうと溜息をつく。
 それから胸のふたつの膨らみのちょうど真ん中あたりに唇を寄せると、彼の手はゆっくりゆっくり膨らみをつぶすように、右の手は左の乳房を、左の手は右の乳房を覆っていく。決して先端部分には触れずに、その周囲をじわじわといたぶるようにして。


 どんどん心が暗くなる。くすぐらないでと言ったらもっとくすぐられているかのような。
 酸欠になりそうなのに口をふさがれているような。火がつきそうでつかないまま不完全燃焼を起こしているような。
 この男は、あたしの感じるポイントをわざと外している。絶対そうだ。


「気持ちイイ?」
 彼の声が、どことなく妖しく響く。
 あたしは、何と答えたらいいかわからない。別れるんだもの、気持ちよくなる必要性を感じないし、彼が想い出づくりのために抱きたがっているみたいだから付き合ってあげてるだけなのだから。
 だけど、それにしても。自分だけよければいい、ってそんな意地悪な、器の小さい男だったのだろうか、徹は。あたしが濡れなくて痛い痛いって言ってるところに挿入していい気持ちになれる男、ってああもう、鳥肌が立つ。
 それともあまりにも期間があいて、あたしがどこに感じるかなんて忘れちゃったのだろうか。
 以前なら…、とそこまで考えて、以前というのがいつだったか思い出せないほどずっと前だと気づいた。


 先週も喧嘩をして、気まずい食事のあとまっすぐにそれぞれの部屋に帰ったのだった。
 その前逢ったのはたしか先月で、あり得ない悪いタイミングで彼の携帯に仕事場から電話が入って、やっぱり喧嘩別れしたのだった。
 そのまた前は、突然彼があたしの部屋を訪ねてきたのだけど、そのときに限って家族が来ていたからちょっと揉めてしまった。家族に彼の話をしていなかったから。
 それからその前は、あたしに生理が来ちゃって、珍しく喧嘩はしなかったけどそういうコトはできなかったのだった。
 それからそのもっと前は…。


 ぼうっと考え事にふけっていたら、ぐいと顎を押さえられ、唇の中に彼の舌が侵入してきた。反対側の腕が首の後ろにまわされていて、逃れようにも逃れられない。
 やだ。
 息が、できないかも…。
「ぶふっ、もう、やだ」
 身をよじって、ようやく口づけから逃れたとき、ふいに彼の腕から力が抜けて。
 ぽた。
 とあたしの頬に冷たいものが落ちた。


 見上げると、もう一粒の涙が彼の瞳から溢れ落ちるところだった。
 彼の目つきが鋭くて冷たく感じられる理由が、じつは視力の弱さにあると今は知ってる。
 ほんとうは感激屋だし、さびしがりだってこともあたしは知ってる。
 ぽた。
 なぜ泣くの? なぜ。


「いいのかよ?このまま別れて、二度と逢えなくなっても」
「逢ったって、楽しくないんだもの。
 もっと心が通じ合う人を探すほうがいいでしょ、お互いに」
「おまえ、俺を好きじゃないの?」
「あたし、身体で仲直りなんていやだし。
 身体だけ忘れられないから、って理由でずるずる続いてく関係ってどうかと思う」


「馬鹿。ふざけんな」
 あたしを罵りながら、彼は再びあたしにキスをする。ふたりともハァハァ荒い息遣いをしながら、舌を絡ませて。…ほんとうに窒息してしまいそうだ。
「誰が身体だけなんだよ?俺、おまえの丸ごと全部を愛してるぞ。
 なのに、いきなり別れる、ってどこから思いつくんだよ?」
「え?
 だって、じゃあどうしてあたしに喧嘩売るの?
 いつも何か言えば不機嫌になるし」


 涙はもう出てないみたいだけど、目の縁を真っ赤にした彼は、
「ちくしょー、許さねえ」と小さく呟くと同時に、あたしの脚の間に自分の膝を割り込ませる。
 また、あたしの言葉で不機嫌になったのかもしれない。
「いきなり、はやっぱり鬼畜だよな」
 独り言みたいなその言葉は、あたしを縮み上がらせるに十分だ。


「お願い。やさしくして」怖くなって、あたしは言う。
 ちらりとあたしの顔を見た彼はそれに対してまったく答えるつもりはない様子だ。
 だけど、後ろを向いて避妊具を装着し始めるのを見たときは、いきなり、という考えを捨てたのが何となくわかってホッとした。


 それでも、彼はやっぱり彼なわけで。
「なあ」
 ぬるっと熱い舌が、キスというより歯をこじ開けるみたいにあたしの口腔内に入ってくる。唾液も一緒…、ってこれ彼の?
「おまえって、俺が愛してるって言ってるのに、自分の気持ちを言わんでいいと思ってる?」
 やだ彼の、飲んじゃった。


「だって、強引すぎる。そういうことって、強制されて言ったって意味ないんじゃない?」
「ほらまた」
 細められた彼の目が、あたしを威嚇する。「また逃げようとしてる」


 そう言ったそばから、彼はあたしに覆いかぶさり、ふたつの乳房を両手でぐりぐりと押しつけるように愛撫しながらその先端を甘噛みする。
「はぅっ」
「俺は、愛してるって言えなんて言ってない。
 愛してるか愛してないか、ちゃんと言ってくれって言ってるんだ」
「あっ、やっ」
 いつの間にか下半身に伸びてきていた彼の片手が、あたしの内部へ侵入してくる。まずは指一本。


「それで?」
 彼はちうと音をたてて乳首を吸う。それに下のほうでは指が二本になった気配。
「あ、あん」
 やだ。あたし、自分から脚広げちゃってるし、腰振っちゃってるし。
「言え。じゃないと先に進めないし」
 彼の長い指の代わりに、熱くて大きい肉の塊がその場所の入り口をこすり始めたのがわかる。とろりとあたしの中から何かが流れ出る。
「す、好き」
 あたしがそう言ったとき、彼は自分の指をぺろぺろ舐めてた。


「溜まってるし、もう我慢できないし、イクけどよろしく」
「え、待って」
 ってまた強引。彼の分身はあっという間にあたしの奥深くに入り込んで、ぐいぐいと突き上げ始める。
「あっ、あっ、あっ」
 あたしは声を抑えられないのだけど、あたしの声にかぶさって彼も喘いでいる。波打つように腰を揺らす彼とあたし。ああこの感覚。いつ以来だろう。
 いやんあたし。彼を好きだ。彼の存在感があたしの中でどんどん膨らんでいく。脚を持ち上げられて、今あたし、どんないやらしいカッコしてるんだろう。でもどうしてなのか嫌じゃない。奥までずんずんと押してぶつかってくる彼を感じて、天にも昇りそうだ。
「あっ、くっ、でる…」


 それから、しばらく抱き合ったままじっとしていた。
 彼は、あっけなく果てたことを恥じていたみたいだったけど、あたしは逆に彼をいとおしく感じた。口に出しては言わなかったけど。


 そのあと、さらに2枚の避妊具を使って彼とあたしはつながった。
「愛してる」
 強引男のくせに、彼の声はとてもセクシーだ。
 裸のままベッドの上に並んで横たわっているあたしたち。つないでる手の彼の指がもぞもぞと動いたので、あたしはこれ以上余計な場所を触られないように、その手をぎゅっと握り返す。
「あたしも、愛してる」


 ――それから一夜明けて。
 布団をめくったその下では、まだふたりとも裸で。


「そろそろ、一緒に住まないか?」
 天井のほうを向いたままで彼は言う。「もう喧嘩したくないだろ?俺、これ以上お前を補給できなかったらどうにかなりそうだし」
 それって、不機嫌の理由があたしに逢えなかったから、というかえっちしてなかったせいってこと?
 なんていやらしい男なんだろう。と考えながら、あたしの不機嫌ももしかしてそこらへんにあったかもしれないなんて思う。部署の異動があってから、徹が同じ課になった女性と妙に親密だという噂を耳にしたこともあるし。
 ただそれは、こないだの喧嘩のときキッパリと根も葉もない噂だから気にする必要なしと断言されたのだけど。


「おい、また返事がない」と彼があたしの手の指にギュッと力を入れて握る。
「だって」
「だってじゃない」
「わかってるけど、でも」
「でも?」
「あたしが素直じゃないこと、わかってるでしょ?」


 ぷいと横を向いたあたしを見て、彼は一瞬驚いた顔をし、それからニコッと笑った。
 あたしが返事をしないときは彼に同意ってこと。
 彼、やっとそれに気付いてくれたみたいだ。


 あたしたち、しなくてもいい喧嘩を繰り返してきたんだと思う。
 他人同士なのだもの。誤解したり、不安になったりするのは仕方ないよね。
 あたしも彼についてもっと学ばなければいけない。


「とりあえず、これからご飯食べて、そのあと買い物に行かない?」
 そう口に出したあと、恥ずかしながら全裸でクローゼットを開けてこれから着る服を物色していたら、後ろから胸の先をつままれた。
「いいよ」と耳元で囁く彼の声。
 何となく硬くて熱いものが下半身に押し当てられてるのを感じるけど、気付かないふりをすることにした。
 男という生き物の回復力が女より勝るのか、徹という個人の能力値の問題なのかよくわからないけど、あたしが付いていけないレベルなのは確かなようでまだ命は惜しいから。


 あたしがシャワーを浴びて出てきたとき、先にシャワーを終えてた彼は、遅い朝食…というかブランチというべきかをすでに用意してくれていた。といっても、トーストを焼いてカップに紅茶を注いであるだけなのだけど。
「買い物って何を買いたいの?食料品?服?」
「徹のメガネ。誕生日にプレゼントするって約束したけど、すごく目つき悪いし。そんなに見えないならさっさと自分で買えばいいのに、ってずっと気になってたの」
「忙しかったからね」彼の表情の変化は、ほんとうにわかりやすい。すごくうれしそうだ。
「でも前のメガネが壊れてから、ずいぶんたつでしょう?」
「そうだね」その笑顔を見ていると、もっと早く買いにいくことにすればよかった、と思う。とはいえそうなると、誕生日のプレゼントではなくなってしまうのだけど。
「でも俺、お前が選んでくれたのしか要らないと思ってたから」
「え?」


 あたし、今、すぐもう一発ヤッちゃってほしいなんてインランなことを考えてしまった。
 もちろんこれも言わないけど。


 久しぶりにふたりで過ごす休日。
 今日が終わったら、また次逢えるのはいつ?と指折り数えることになるのかな、なんて思い始めた。
 さっきまで別れる、と息巻いていたのは誰なんだろう。
 一緒に住む日が訪れるのを願ってるのは彼以上にあたしかもしれない。
 そう思ったけど、やっぱりあたしはそれを口にしないだろう。素直じゃないから。


「おい、洗面所に置いたはずの俺の歯ブラシがないんだけど?
 お前の歯ブラシ、使ってもいい?」
 朝食を終えた徹の声が、洗面所の方向から聞こえてくる。
「ダメ!昨日、腹立ったから捨てちゃったの。ごめん。
 今新しいの持って行くから」
 さて、新たな揉め事が起きないうちに、さっさとメガネを買いに出かけなくちゃ。
 というわけで、あたしはパンの欠片を口の中に突っ込むと、紅茶を流し込んだ。

- end -

2011.12.01

 あとがきというか、言い訳ですが…。
 ほんとはこんな話にするつもりじゃなかったのです。今となってはどんな話にするつもりだったか、自分でもよくわからないのですけど。身体で仲直りって、何か誤魔化してるようだし根本的な解決にならないからヤダよね、ってことを書きたかっただけなんです。彼が身勝手で強引で悪いやつ風に始まりましたが、悪い子は彼女のほうだったんですね。…というか、このふたり、どう見てもバカップルで、書き終えて読み直して恥ずかしくなりました。すいません。

…愚痴めいたことを書きつつも、読んでいただき、ありがとうございます。
気に入っていただけたならクリックしていただけると励みになります。⇒  web拍手 by FC2



inserted by FC2 system